2026年6月公開予定の映画『メモリィズ』は、派手な展開もCGIもアクションもない「静かな映画」です。
一見すると地味で、興行収入的にも不利に見えるこのタイプの映画が、なぜ今、注目を集めているのでしょうか。『ドライブ・マイ・カー』のアカデミー賞受賞、『PERFECT DAYS』のカンヌ映画祭主演男優賞、そして世界中で静かな日本映画が高評価を得ています。
この記事では、「静かな映画」が2020年代に求められる理由を、映画業界のトレンド、観客心理の変化、そして時代背景から徹底分析します。
「静かな映画」とは何か|定義と特徴
静かな映画の5つの特徴
「静かな映画」とは、具体的にどのような作品を指すのでしょうか。
明確な定義はありませんが、以下のような特徴を持つ作品を指します。
・派手な展開がない:大きな事件、激しいアクション、劇的なクライマックスを避ける
・セリフが少ない:沈黙、間、表情で語る演出
・ゆったりとしたテンポ:早回しせず、時間の流れを大切にする
・日常を丁寧に描く:特別な出来事ではなく、何気ない日常に焦点を当てる
・答えを示さない:観客に解釈を委ね、余白を残す
映画『メモリィズ』も、まさにこれらの要素を持つ作品です。
「静かな映画」≠「つまらない映画」
「静かな映画」は「つまらない映画」ではありません。
むしろ、観客の能動的な参加を求める映画です。受動的に「見せられる」のではなく、能動的に「観る」ことが必要。作品の意味を自分で考え、感じ取る楽しみがあります。
ハリウッド大作のような「誰が観ても同じ体験」ではなく、観る人によって感じることが異なるのが特徴です。
なぜ「静か」なのか|映画的表現の原点回帰
初期の映画は、そもそも音がありませんでした(サイレント映画)。映像と音楽だけで語る技術が、映画の本質だったのです。
「静かな映画」は、セリフに頼りすぎる現代映画への反動であり、映画本来の表現力への回帰とも言えます。映像の力、俳優の表情、空気感の演出…こうした映画的表現の純度が高いのが「静かな映画」なのです。
2020年代の映画トレンド|大作疲れと静かな映画の台頭
マーベル映画の黄金期と終焉
2010年代は、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の黄金期でした。『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)は全世界で約2,800億円の興行収入を記録し、映画館はスーパーヒーロー映画で溢れていました。
しかし、2023年以降、明らかな変化が起きています。『マーベルズ』『アントマン3』などの興行不振、映画批評サイトでの評価低下、観客からの「マーベル疲れ」という声が目立つようになりました。
制作費300億円の大作よりも、制作費数億円の静かな映画が評価される時代になったのです。
日本映画の国際的評価の高まり
| 作品名 | 公開年 | 受賞・評価 |
|---|---|---|
| ドライブ・マイ・カー | 2021年 | アカデミー国際長編映画賞、脚本賞ノミネート、世界興収約40億円 |
| 偶然と想像 | 2021年 | ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員大賞) |
| 怪物 | 2023年 | カンヌ映画祭脚本賞、クィア・パルム受賞 |
| PERFECT DAYS | 2023年 | カンヌ映画祭主演男優賞(役所広司)、世界的ヒット |
| 万引き家族 | 2018年 | カンヌ映画祭パルムドール(最高賞) |
一方で、静かな日本映画が世界で高く評価されています。『ドライブ・マイ・カー』は第94回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞し、興行通信社の報道によると世界興行収入は約40億円に達しました。『PERFECT DAYS』は第76回カンヌ映画祭で役所広司が主演男優賞を獲得し、国内外で話題となりました。
これらに共通するのは、ゆっくりとしたテンポ、セリフの少なさ、日常を丁寧に描く姿勢です。
ハリウッド映画とは真逆のアプローチが、逆に新鮮に映るのです。
2020年代のエンタメ消費の二極化
「静かな映画」は、まさに「深くて遅い」側の代表格です。
2020年代のエンタメは、明確に二極化しています。TikTok(15秒~3分)、YouTube Shorts(最大60秒)、Instagram Reels(最大90秒)など「極端に短い消費」が台頭する一方で、『オッペンハイマー』(3時間)、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』(3時間26分)など長尺映画も成功しています。
中途半端なエンタメが消えているのが特徴です。浅いか深いか、速いか遅いか。「静かな映画」は、まさに「深くて遅い」側のエンタメとして、明確なポジションを確立しつつあります。
なぜ今「静かな映画」が求められるのか|5つの理由
理由① 情報過多への疲労
現代人は、かつてない量の情報に日々さらされています。SNSの絶え間ない更新、メールやLINEの通知、ニュースの高速消費、常に「次」を求められるアルゴリズム…。
このような環境の中で、「何も起こらない」映画が逆に癒しになるのです。
『メモリィズ』のようなゆったりした映画は、情報過多の脳を休ませてくれます。
理由② 「分かりやすい感動」への反発
| 項目 | 2010年代(主流) | 2020年代(新潮流) |
|---|---|---|
| 展開 | 派手で劇的、ノンストップアクション | 淡々とした日常、大きな事件なし |
| テンポ | 高速、次から次へと展開 | ゆったり、間を大切にする |
| セリフ | 説明的、全てを言語化 | 最小限、沈黙や表情で語る |
| 感動演出 | 音楽で誘導、分かりやすく泣かせる | 控えめ、観客の解釈に委ねる |
| 答え | 明確な結論、スッキリ終わる | 余韻を残す、解釈は観客次第 |
| 鑑賞スタイル | 受動的、「見せられる」 | 能動的、「観る」「読む」 |
| 代表作 | アベンジャーズ、トランスフォーマー | ドライブ・マイ・カー、メモリィズ |
2010年代まで主流だった「泣かせる映画」に、多くの観客が飽きています。盛り上がる音楽で感情を誘導し、「ここで泣いてください」という露骨な演出、セリフで全てを説明する…。
こうした映画に対して、「感情を操作されたくない」という観客が増えています。
令和の観客は、自分で考え、自分で感じたいのです。
理由③ TikTok世代の逆説的ニーズ
最も短い動画を消費している世代が、最も長い映画を求めるという逆説があります。
Z世代(1997年~2012年生まれ)は、TikTokやYouTube Shortsで育った世代です。15秒単位でコンテンツを消費し、常に高速でスワイプしています。しかし同時に、彼らは「深く没入する体験」に飢えているのです。
高速消費に疲れ、「本物の体験」を求め、じっくり時間をかける価値を理解し、SNS疲れ・デジタル疲れを自覚している。
『ドライブ・マイ・カー』(3時間)のような長尺の静かな映画が若者に支持されるのは、この逆説が理由です。
理由④ 配信時代の映画館の再定義
Netflixなどのサブスク配信で、映画は「自宅で気軽に見るもの」になりました。
しかし同時に、映画館でしか味わえない体験の価値が再評価されています。
映画館は、強制的にスマホから離れられる場所、2時間他のことができない(マルチタスク不可)環境、大画面と音響システム、他の観客との共有体験…これらが特別な価値になっています。
特に「静かな映画」は、集中して観ることが重要です。自宅で「ながら見」では、良さが半減します。映画館という空間でこそ、作品の真価が発揮されるのです。
理由⑤ コロナ禍後の価値観の変化
2020年〜2022年のコロナ禍は、人々の価値観を大きく変えました。
ロックダウンや外出自粛を経験し、日常の大切さ、家族との時間の貴重さ、「当たり前」は当たり前ではないこと、派手なイベントより静かな日常の価値を再認識しました。
コロナ禍後、人々は派手な娯楽よりも、日常を大切にする作品に共感するようになりました。
『メモリィズ』のように日常を丁寧に描く映画が求められるのは、この価値観の変化があるからです。
「静かな映画」の鑑賞体験|受動から能動へ
「見せられる」映画から「観る」映画へ
ハリウッド大作は、「見せられる」映画です。ストーリーは明確で、感情の動きも計算され、誰が観ても同じ体験ができるように設計されています。
一方、「静かな映画」は「観る」映画です。能動的に意味を探し、自分なりの解釈をする必要があります。何が起こっているのか自分で考える、登場人物の心情を表情や仕草から読み取る、セリフにならない感情を感じ取る、作品のテーマを自分なりに解釈する…。
脳を使う鑑賞体験だからこそ、疲れるが、同時に満足度が高いのです。
沈黙と間の美学
日本文化には、「間(ま)」という概念があります。音楽でいえば休符、会話でいえば沈黙です。西洋文化では、沈黙は「何もない」状態ですが、日本文化では沈黙そのものが意味を持つと考えます。
「静かな映画」では、会話の沈黙が言葉以上に雄弁、風景をじっと映し続けることで観客に考える時間を与える、急がない編集で時間の流れそのものを感じさせます。
これが、日本の「静かな映画」が世界で評価される理由の一つです。グローバル化の中で、この独自性が逆に価値になっているのです。
映画を「読む」楽しみ
「静かな映画」は、小説を読むように「読む」楽しみがあります。細部に注目し(小道具、背景、色彩)、行間を読むように映像の間を読み、監督が何を伝えようとしているのか考え、見落としたシーンがないかもう一度観たくなる…。
『メモリィズ』のような作品は、一度観ただけでは分からないかもしれません。でも、それが逆に何度も観る動機になります。
日本映画の強み|「静けさ」が世界標準になる時代
ハリウッド vs 日本映画|アプローチの違い
ハリウッドと日本映画では、映画制作のアプローチが根本的に異なります。ハリウッドはエンターテインメント重視、万人受け狙い、説明的なストーリーテリング、スペクタクル・CGI・アクション。
一方、日本映画(特に静かな映画)は芸術性重視、分かる人に分かればいいという姿勢、説明しない・観客に委ねる、日常・人間関係・内面の描写に重点を置きます。
どちらが優れているかではなく、違いが価値になる時代なのです。
ハリウッド映画が飽和した市場で、日本映画の静けさが新鮮に映ります。
「禅」「わびさび」という武器
さび
これら日本文化の美学が、グローバル化した映画市場で独自の価値を持っています。
ハリウッド映画にはない「静けさ」こそが、日本映画の最大の武器なのです。
日本文化の根底にある「禅」や「わびさび」の精神が、今、世界で再評価されています。無駄を削ぎ落とす、シンプルさの中に深みを見出す、沈黙を恐れない、「ない」ことの美しさを尊ぶ禅の美学。完璧ではないことの美しさ、経年劣化の価値、不完全さの中の調和を見出すわびさびの美学。
映画『メモリィズ』の「古い写真館」という舞台設定も、まさにわびさびです。デジタル化に押される古い技術を、美しく描くのです。
是枝裕和、濱口竜介という系譜
現代日本の「静かな映画」を代表する監督たちが、世界で高い評価を得ています。
是枝裕和監督は『万引き家族』(2018年)で第71回カンヌ映画祭パルムドール(最高賞)を受賞しした。濱口竜介監督は『ドライブ・マイ・カー』(2021年)で第94回アカデミー賞国際長編映画賞を受賞しました。
映画『メモリィズ』の坂西未郁監督も、この系譜に連なる新世代と言えるでしょう。
2020年代のエンタメトレンド|「静かな映画」の未来
「スロー・シネマ」という新ジャンル
海外では、「スロー・シネマ(Slow Cinema)」という言葉で、この種の映画がジャンルとして認識されています。長回し・ゆったりした編集、ミニマルなストーリー、観察的なカメラワーク、観客に忍耐を求める…これらが特徴です。
タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督、ロシアのアンドレイ・タルコフスキー監督などが代表例ですが、日本の「静かな映画」もこの系譜に位置づけられます。
Netflix vs 劇場公開|住み分けの時代
Netflixなど配信プラットフォームの台頭で、映画は二極化しています。気軽に見れる・ながら見できる配信向きの映画と、集中して観る必要がある・映画館の大画面音響が重要な劇場向きの映画です。
「静かな映画」は、明らかに後者です。『メモリィズ』も、劇場で観ることで真価を発揮する作品でしょう。
アート映画の商業的成功という新時代
かつて「アート映画」は、商業的には成功しないものとされていました。
映画祭で評価されても、興行収入は期待できない…。
しかし、2020年代は違います。『ドライブ・マイ・カー』は世界興行収入約40億円、『PERFECT DAYS』も国内外で大ヒットを記録しました。静かな日本映画が、芸術性と商業性を両立させています。
これは、観客の成熟を意味します。派手なだけの映画ではなく、深い作品を求める観客が増えているのです。
映画『メモリィズ』が示す2020年代の映画の未来
新人監督が挑戦できる環境
映画『メモリィズ』の坂西未郁監督は、本作が長編デビュー作です。
これは、新人でも静かな映画なら挑戦できる時代を象徴しています。
大規模なセット不要、CGI不要、大量のエキストラ不要、少人数で丁寧に撮れる、制作費が抑えられる…。制作費300億円のマーベル映画は新人には無理ですが、数億円の静かな映画なら可能です。これが、多様な才能を生み出す土壌になっています。
「個人の物語」の時代
YouTuber、TikTokerが人気なのは、「個人の物語」だからです。
大企業のコンテンツより、個人のリアルな体験が求められています。
映画も同じです。大手スタジオの企画映画より、監督個人の体験や想いが込められた作品が評価される時代です。『メモリィズ』も、監督自身の体験が反映された極めて個人的な物語です。
だからこそ、普遍性を持つのです。
映画館の未来|体験としての価値
配信が当たり前になった今、映画館は「体験」を売る場所になりました。デジタルデトックス空間、集中できる環境、特別な時間を過ごす場所、作品と向き合う儀式的な空間…。
「静かな映画」は、まさにこの映画館の価値を最大化します。自宅では得られない体験を提供するのです。
🎬 もっと深く知りたい方へ
映画『メモリィズ』をさらに楽しむための考察記事をご用意しました
まとめ|「静かな映画」が照らす2020年代の価値観
ゆっくりと映画に浸る勇気がありますか?
その勇気こそが、2020年代を生きる私たちに
最も必要なものかもしれません。
2020年代の社会が抱える矛盾への
静かな抵抗である。
「静かな映画」が求められる理由は、2020年代の社会が抱える矛盾への反動です。
情報過多、高速消費、分かりやすい感動の押し売り、SNS疲れ、デジタル依存…こうした現代社会の問題に対する、静かな抵抗が「静かな映画」なのです。
映画『メモリィズ』は、2026年という時代に、あえて「何も起こらない」映画を作ります。それが最も贅沢で、最も必要とされているからです。
あなたは映画館で、2時間スマホを手放し、ゆっくりと映画に浸る勇気がありますか?
その勇気こそが、2020年代を生きる私たちに最も必要なものかもしれません。
参考資料・出典
本記事は以下の情報源を参考に作成しました。
映画公式情報・受賞歴
- 第94回アカデミー賞公式サイト
『ドライブ・マイ・カー』国際長編映画賞受賞(2022年)
https://www.oscars.org/ - カンヌ国際映画祭公式サイト
『PERFECT DAYS』主演男優賞(2023年)、『万引き家族』パルムドール(2018年)
https://www.festival-cannes.com/ - IMDb(Internet Movie Database)
各映画の基本データ、上映時間等
https://www.imdb.com/
興行収入・業界データ
- 興行通信社、Box Office Mojo等の興行収入報道
- 映画業界メディア(Variety、The Hollywood Reporter等)の分析記事
社会統計・トレンド
- 総務省統計局「国勢調査」
世帯構造、家族構成に関するデータ
https://www.stat.go.jp/ - 厚生労働省「人口動態統計」
婚姻・再婚に関する統計
https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1.html
映画研究
- 「スロー・シネマ(Slow Cinema)」に関する映画研究の学術的定義
- 日本映画における「禅」「わびさび」の美学的分析
注記:
記事内の映画業界トレンド(マーベル映画の興行推移、観客の嗜好変化等)については、複数の映画メディア報道、映画批評サイト、業界関係者のインタビュー等を総合的に分析した内容です。
記事作成日:2026年1月
※情報は作成時点のものです。最新情報は各公式サイトをご確認ください。



