※この記事は原作小説『廃用身』の結末を含むネタバレ記事です。原作未読の方はご注意ください。
映画『廃用身』の公開が2026年5月15日に迫っています。第1回・第2回でご紹介した原作のあらすじとテーマを踏まえ、この第3回ではいよいよ原作小説の結末と、映画版での描かれ方の予想に踏み込みます。
「漆原糾はどうなるのか」「映画版のラストは救いか、絶望か」——この記事を読むと、映画公開前に原作の結末を知ったうえで、映画をより深く楽しめるようになります。
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原作小説の構造——「本の中に本がある」仕掛け
原作結末を語る前に、まず原作小説の特異な構造を理解しておく必要があります。
原作は前半と後半で語り手が異なります。前半は医師・漆原糾が編集者・矢倉に説得されて執筆した「Aケア(廃用身切断)の経緯を綴った手記」という形式。後半では、その原稿が漆原の遺稿であったこと、漆原の過去やマスコミ報道への対応などが矢倉の視点で語られます。
さらに漆原によるまえがき、矢倉による巻末解説や奥付なども書かれており、本の中に本があるような作りになっています。この 構造が、多くの読者を「これはノンフィクションではないか」と錯覚させる叙述トリック的な仕掛けになっています。
この「本の中の本」という形式は、映画化において最大の難所のひとつです。小説ならではの叙述トリックを映像でどう表現するか——それ自体が映画版の最大の見どころのひとつといえます。
原作のラスト——漆原糾はどうなるのか【ネタバレ】
では原作の結末を見ていきましょう。
マスコミから「患者の手足を切る悪魔の所業」などと書き立てられ、耳目を集めた漆原は、社会的に追い詰められていきます。メデ ィアの告発は事実の検証を欠いたまま拡散し、漆原の誠実な医療行為は「悪魔の医師」として断罪されます。
そして迎える衝撃のラスト——漆原医師は矢倉氏に胸の内を打ち明けたのち、列車に飛び込み自殺を遂げます。首を轢断。「頭は 私の 廃用身」という言葉だけを遺して。
「頭は 私の 廃用身」——この遺言こそが、原作全体を貫くテーマの集約です。社会から「役に立たない存在」として断罪された漆原が、自らの頭(思想・理念)をも「廃用身」と呼んで逝く。この一文の重さは、読んだ者の心に長く残ります。
さらに漆原医師の死後、妻の菊子も列車に飛び込み自殺を遂げました。編集者である矢倉氏は別の出版社に移り、漆原の手記および経緯をまとめて出版に至ります。
遺した言葉は——「頭は 私の 廃用身」
原作の結末は「救い」か「絶望」か
原作を読んだ読者の間では、この結末への評価が大きく分かれています。
「廃用身」「Aケア」を通じ想起された問題意識は、容赦なく徹底的に破壊される。この作品の焦点が老人介護であるとの見方が間違っていたのかもしれない。マスコミの取り上げ方ひとつで物事の本質や、どんな可能性をも叩き潰してしまうのだという、厭世的な話だったのではないか。とい う読者の声は、多くの方が感じた「後味の悪さ」を代弁しています。
一方でラストに少しだけ医師の異常性を書いてしまったのが個人的には残念だったという声もあります。つまり原作のラストは、漆原を完全な「殉教者」として終わらせず、わずかながら「異常性」の片鱗も示して幕を閉じる構造になっています。
これは意図的な設計です。漆原を完全な悲劇の英雄にしてしまっては、「どちらが正しいか」を作者が決めてしまうことになる。あくまで「答えを出さない」という姿勢を最後まで貫いた結果が、この賛否両論を生む結末なのです。
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映画版のラストはどう変わるのか——3つのシナリオを予想
では映画版はどのような結末を迎えるのでしょうか。公式情報をもとに、3つのシナリオを考察します。
シナリオ① 原作に忠実な「絶望」エンド
最もオーソドックスな予想は、原作通りの展開です。漆原がマスコミに追い詰められ、「頭は私の廃用身」という遺言を残して自死する——この結末を映像化することは、吉田光希監督の「観る人の皮膚の下まで静かに届けたい」という言葉と一致します。
ただし映像化にあたって最大の課題は、原作の叙述トリックをどう表現するかです。小説では「本の中の本」という構造で読者を騙せますが、映像では同様の仕掛けを作るのが難しい。この部分で大きな脚色が加わる可能性があります。
シナリオ② 矢倉視点を軸にした「記録」エンド
原作後半は編集者・矢倉の視点で語られます。映画でも北村有起哉演じる矢倉が重要な役どころを担っており、漆原の死後に矢倉が「記録者」として物語を締めくくる構成になる可能性があります。漆原の行為を「記録に残す」というラストは、問いを観客に委ねるうえで映像的にも成立しやすい形です。
シナリオ③ 映画オリジナルの「開かれた」エンド
吉田監督が20年間温め続けた作品だけに、単純な原作の映像化にとどまらないオリジナルの解釈が加わる可能性もあります。染谷将太は「このような切り口から描かれ、世に投げかける作品は無かったのではないでしょうか」と語っており、映画版独自の「問いの投げかけ方」が結末に反映されることも十分考えられます。
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原作結末が示す「本当のテーマ」
「頭は 私の 廃用身」という遺言は、複数の意味を持っています。
一つ目の読み方は「社会に廃用身と判断された自分」です。マスコミと世論に「悪魔の医師」として断罪され、社会から「役に立たない存在」とされた漆原が、自らをも廃用身と呼ぶ。これは社会の残酷さへの告発です。
二つ目の読み方は「自らの思想の限界への気づき」です。合理性を極限まで追求した漆原の「頭」——その思想そのものが、人間社会では通用しない「廃用身」だったという自覚。これは漆原自身の敗北宣言ともとれます。
どちらの読み方をするかで、この物語の「誰が悪いのか」がまったく変わります。それこそが原作者・久坂部羊が仕掛けた最後のトラップです。
読み方②「敗北宣言」——合理性を極限まで追求した漆原の「頭」、その思想そのものが人間社会では通用しない廃用身だったという自覚。
どちらの読み方をするかで「誰が悪いのか」がまったく変わります。これが久坂部羊が仕掛けた最後のトラップです。
映画版を観る前に原作を読むべきか?
これは多くの方が悩む点です。結論からいうと、どちらの順番でも楽しめる構成になっていると考えられます。
原作を先に読む場合のメリットは、叙述トリックの仕掛けをじっくり体験できること、漆原の思想の形成過程を深く理解できることです。一方、映画を先に観る場合は、映像として先に受け取った衝撃を、原作で再度言語化して深められます。
ただし一点だけ注意があります。切断やらなんやらという内容はもちろんですが、叙述トリック的な側面も持つ作品です。そこがどのように映像化されるのか非常に興味深いという原作既読者の声が示す通り、原作のトリックを知らずに映画に臨む体験は、一度しかできません。その「初読の衝撃」を映像で味わいたい方は、原作未読のまま映画館へ向かうことをお勧めします。
よくある質問(FAQ)
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まとめ:この映画のラストは「問い」そのものである
原作『廃用身』のラストは、救いでも絶望でもありません。正確には、「救いか絶望かを、あなたが決めなさい」という問いそのものです。
「頭は 私の 廃用身」という漆原の遺言を読んで、あなたは何を感じましたか?漆原を哀れに思いましたか?それとも、自業自得と思いましたか?その答えこそが、あなたがこの作品から受け取ったテーマです。
映画版がどのような結末を選ぶにせよ、吉田光希監督が「観る人の皮膚の下まで届けたい」と語ったこの作品は、映画館を出たあとも長く問いかけ続けてくることでしょう。2026年5月15日の公開を、ぜひ楽しみにしていてください。
公開日:2025年12月24日 出典:natalie.mu
公開日:2025年12月24日 出典:cinematoday.jp
公開日:2025年12月24日 出典:eigasquare.jp
出典:honto.jp
出版社:幻冬舎 ISBN:978-4-344-40672-0

